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秋田家庭裁判所 昭和57年(少)448号 決定

少年 N・Z(昭四四・一・一八生)

主文

少年に対し、強制的措置をとることは、これを許可しない。

この事件を秋田県中央児童相談所長に送致する。

理由

(本件送致事実の要旨)

少年は、昭和五六年一二月一六日付で教護院千秋学園に入所したが、昭和五七年三月一七日同園児童Aとともに無断外出し、同月二九日に保護されるまでの間、車上狙いや自動車等の窃盗の非行を多数回にわたつて行なつたうえ、自動車を無免許運転してガードレールに衝突して土手下に落下する事故を起し、同年五月一三日から同月一六日にかけても無断外出し、前回同様、車上狙いや自動車等の窃盗の非行を行ない、自動車を無免許運転し、堤防下に横転させる事故を起こしている。

このように無断外出の回数は少ないものの、その間に行なつている非行は大胆であり、少年が電気製品や自動車に関心があるところから、将来、重大な非行や事故につながるおそれがある。

少年は、幼児期から甘やかされて育つており、気持が非常に幼く、自己抑制ができない状態であり、現在の開放された教護院では無断外出は容易であり、現在の教護院の指導には限界がある。

少年の長い将来を考えて、通算一二〇日間の強制的措置をとることの許可を求める。

(当裁判所の判断)

秋田県中央児童相談所の児童記録、鑑別結果通知書、少年調査票及び審判の結果によれば、次の事実が認められる。

一  本件申請に至る経緯

少年は、昭和五六年四月一日秋田県平鹿郡○○町立○○中学校に入学したが、同年六月ころから登校拒否が始まり、そのころから電気製品その他の車上狙いによる窃盗がみられ、家庭内においても実父が出稼ぎで不在勝ちであることも手伝い、母親に対し高価な電気製品の購入を要求し、これが入れられない時は壁に物を投げたり、大声で威嚇するなどの粗暴な振舞が出始め、同年一一月二四日窃盗で横手署に補導された際、家庭に戻すのが適当でないため、児童相談所に一時保護し、同年一二月一六日教護院千秋学園に入所した。

しかしながら、昭和五七年三月一七日午前三時ころ同学園園児A(一三歳)とともに無断外出し、秋田市○○、由利郡○○町、同郡○○町等を浮浪し、バイク、自転車各二台を窃取して乗り捨て、車の中や作業小屋から現金九〇〇円、カメラ、食品等を窃取し、同月一九日秋田市○○に戻り、空屋に侵入して同月二七日まで盗んだ食糧を食べながらその場所に潜んで暮らし、同日夜自転車二台を窃取して平鹿郡○○町の自宅に向い、途中これを乗り捨て、車の中から現金一〇三〇円等を窃取し、さらに普通乗用自動車を窃取して無免許運転した○○橋を渡つた直後運転を誤まり、ガードレールに衝突し、土手に自動車を放置して徒歩で自宅に戻り、同月二九日保護され、千秋学園に戻つた。

その後、同年五月一三日午前二時三〇分ころ再び無断外出し、自転車を盗んで秋田市○○に行き軽乗用自動車を窃取し、同月一四日に同車が動かなくなつたため放置し、次にライトバンを窃取して由利郡○○町に行き、電気店よりラジオ等を窃取し、同月一五日本荘市を通つて○○町に行き、○○川堤防を走行中運転を誤まり、堤防下に自動車を落とし、横転させ、同日午後九時一〇分ころ自動車を物色中に発見され保護された。

少年は、元来、幼稚、我儘で自己統制力に欠け、集団生活になじめず、「家に帰りたい」「自分の好きな電気製品いじりがしたい」と思うと抑制できずに千秋学園を飛び出し、自宅に向う途中、バイク、自動車、現金、食品等を窃取したものである。

二  少年の家庭

少年の家族は、父(五一歳)、母(四四歳)、姉(一七歳)、本人(一四歳)の四人家族で住居地の木造二階建の家で暮している。

実父は、左官業を営み、一見職人風であり、話をすると物分の良い、素朴な人間で、仕事もまじめであるが、短気なところがあり、酒好きで酩酊すれば大声で怒鳴つたり、愚痴をこぼしたりする。出稼ぎに行つて家を留守にする期間が長く、少年と接する機会が少ない。少年の非行発生時までは、少年と魚釣りに行つたり、少年も父の左官の仕事を手伝つたりして、親子間の交流がみられたが、次第に、飲酒して怒鳴つたり、あきらめて放任状態となつていた。

実母は、自主性、判断力に欠け、少年を溺愛して育てたせいか、結果的に少年の我儘を許すことになり、少年に対する教育的な力を失いつつある。

姉は内気であるが、一本気なところがあり、少年とはげしい喧嘩をすることがある。

三  少年の性格

幼児的な自己中心性が強く、年齢に比し、精神の発達も未熟で社会性が欠如しているため集団に参加できず、孤立的で内気であり、集団の中では疎外感、劣等感を持ちやすく、逃避し、自己の世界に閉じこもり勝ちである。情緒も安定を欠き、自己統制力や倫理感も形成不十分であるため、誘われれば無批判に衝動的行為に出ることがある。

ラジオ制作、その他の電気製品の組立、分解に異常な興味と関心を持つている。

四  申請に至る経緯、少年の性格を考慮すれば、申請には相当の理由があると考えられたが、(1)少年は、小学生時代は特別の問題行動もなく、欠席も少なかつたし、年齢は一三歳四か月で可塑性に富んでいること、(2)教護院の無断外出後に犯した非行は帰宅の手段として敢行されたものとみられること、(3)少年は、今まで自分の気持ちを優先させて人の迷惑を考えずに行動してきたことを反省し、ある程度の自覚も生じてきており、六か月の教護院生活により、通常の社会生活に戻りたいという希望を強くしていること、(4)保護者の意向が少年の帰宅受入れに変化したことなどから、直ちに強制措置をとることは相当でないものと考え、試験観察(昭和五七年六月一〇日)に付したうえ、学校、家庭の環境調整をはかりつつ、最終的な判断を下すこととなつた。

五  試験観察中の少年の行状

試験観察前に家裁調査官との懇談により、少年の受入れに傾いた○○中学校の教諭らが、その後会議を持つて裁判所に対する全面的な協力と少年の非行防止、登校確保にあたることを決めたため、学校側の受入れ態勢が整い、少年は昭和五七年六月一四日から登校を始め、夏休みになるまでは問題行動なく真面目に学校生活を送つていた。

しかしながら少年は、夏休み後怠け癖がつき、二学期には登校しなくなつて、そのうち夜と昼の生活があべこべになり、昼は寝ており、夜は起きて自分の部屋で電気製品の組立、分解等をやるような生活となつた。

少年は、担任や補導係の教諭の説得や友人の誘いにも応ぜず、登校拒否を続けたが、学校に行かなければならないという意識は若干はもつているせいか、文化祭(一〇月三〇日、三一日)の二、三日前には登校し、文化祭にも参加したが、その二日後テストのことで教師から一寸注意されたら再び登校しなくなつた。

三学期には、少年は二、三日登校したが、風邪をひいたことから、また登校しなくなり、友人、教師の説得が続いたがその効果もなかつた。

少年はあいかわらず、昼は寝ていて、夜起きて電気製品をいじる生活が続いている。

しかしながら、母親に対して電気製品の購入を要求して乱暴を働くということも次第になくなり、犯罪やこれに類する行為は全くなくなつた。

六  当裁判所の判断

少年に対しては昭和五七年六月一〇日より試験観察を実施したが、遵守事項のうち学校に登校することという約束は守れなかつたものの、窃盗等の犯罪行為は全くなくなり、夜遊び、その他の犯罪につながる行為も除去された。

残る登校拒否は本来学校教育の問題であるうえ、学校側も引き続き、少年の登校確保に努力している。

従つて、現在では強制的措置をとる必要性は低いと認められ、かかる措置をとることは妥当な方法とはいい難い。

よつて、少年に対して強制的措置をとることを許可しないこととし、主文のとおり決定する。

(裁判官 片瀬敏寿)

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